グルーポンで購入したバードカフェのおせち購入者の声を募集!(ガジェット通信)。
なぜガジェット通信がこんなことをやっているのかは、さておこう。
昨年、グルーポンという何故かどこか騙されたような気がしてならない「お得なサービス」が上陸し、今年の夏までにいくつもの似たようなサービスがスタートした。
そこそこちゃんとした営業を続けているものだけでもゆうに十指を数える乱立状態である。
業者が多いということはそれだけ業者が儲かっているということだから、客が得をしているはずはないのだが。
この「グルーポン系サービス」に漂う得も云われぬ「不可解さ」に、横浜の飲食店・バードカフェが火を付け、経営者だという男とその友人たちがブログとtwitterで油を注いだ。
2chの「ニュース速報+」板では、これを報じるスレッド「【話題】グルーポンで購入したおせち料理が見本と全然違う! バードカフェの社長が辞任を発表 『おせち被害者の声を募集』」がすでに70スレを超え、歴代のニュー速スレ本数TOP10入りを決めている。
いったん火がつくと、あとは自分たちで燃料を自給しながら4日間にわたり燃え続けるこの「ニュー速+」の住人たちは、正月早々のネタにありついた自分たちの興奮を、以下のようなコピペにまとめてみせた。
38 :名無しさん@十一周年:2011/01/04(火) 01:39:06 ID:fodLjw7E0
このスレの加速度に対する分析結果
■もし自分のところにあんなもん送られてきたら、と想像する怒り
■同業者として同じと思われたらたまらん、という同業者の怒り
■救われない被害者に対する、素直な同情心
■日本の食文化を守りたい、愛国心
■祭りと聞いて便乗せずにはいられない、野次馬根性
■詐欺まがい商法のフラッシュマーケティングを糾弾したい、正義感
■俺の家のおせちはうまかった、という安心感
■世の中かわいそうな人間もいるんだな、という優越感
■下品な成金社長に対する、嫌悪感
■無知で自己中心的な若者に対する、嫌悪感
■文化祭レベルの素人企業を受け入れられない、道徳感
■おせちに8Pチーズという新しい発見に対する、期待感
■時間的余裕のあるお正月であるがゆえの、一体感
■退屈なテレビなどの既存娯楽産業に対する、失望感
■敏腕工作員の古典的漫才に対する、素直な笑い
■新たな燃料に乗り遅れたくない、集団心理
■殿堂スレにリアルに参加したい、達成感
■ホリエモンをも巻き込んでいる事に対する、グローバル感
それにしても世話のない連中である。
おあつらえ向きのネタを見付けると、集まって、盛り上がるための材料をネット上から寄せ集め、たたき、挑発し、疲れてくると自らを鼓舞し、やがてその自己目的的な興奮を分析しはじめ、96時間経つと解散する。
最近「煽り」に耐性のないと見える堀江貴文がtwitterを通じてこの祭りに自ら身を投じたのにはあきれたが、それを通じて氏もまたグルーポンサイト「半額東京」に出資していることを認めさせられたのにはもっとあきれた。
もし運悪くキミのブログが炎上、祭り状態に巻き込まれたら携帯もパソコンも家において、テレビも見られない山小屋で4日間寝て暮らすことをお薦めする。
悪い点はキミにもあるだろう。だが本当に悪かったのは「運」だけだと覚えておこう。悪いやつならほかにもいる。だがキミほど運の悪いやつはいないのだから。
さて、バードカフェがあまりにもみじめなそれを、しかも噂では腐った状態で宅配したと報じられる「おせち」だ。
正月早々はじまった「おせち」をめぐる大騒ぎは今回が初めてでないことを、ご記憶だろうか。
「おせちが届かない 小樽『ふうどりーむず』の評判 - 天漢日乗」から分かる2006年賀春の惨劇は、「バードカフェ」が原付ならこっちはビグザムだというぐらい、すさまじい。
バードカフェがグルーポンを介して受注したおせちは500セットだということだが、ふうどりーむず社が前年の12月時点で受注していたおせちはまさかの15,000件超。27,000円と40,000円の二種類があったというから、バードカフェの@10,000円ばかりを「詐欺」とは責められまい。
3,000セットが元日に間に合わず、社員がお詫びに、タクシーで配達にと東奔西走したが、ついに2,000セットは材料が足りず配送の一時停止を決断。
「品物の発送は『今月下旬から始め、来月末までに完了したい』(猿渡社長)」。
2月末におせちが届くというからぶっとんでいる。
結局ふうどりーむずはこのときの未払いが響き、二年後の夏に民事再生に至った。
ふうどりーむずの「おせち騒動」が報じられたとき、僕はなにより「鮨が冷凍で届く」という新技術の存在に驚愕し、2月末にふうどりーむずが一般向けの受注を再開したのを見計らって直ちにこれを取り寄せた。
このときの模様は当時主催していたブログ「(株)新宿メロドラマ」につづった覚えがあるのだが、今日アクセスすると記事はすべて消えていた。
代わりに残されたたったひとつのエントリー。
タイトル:よし、離婚を行うことになった。
よし、離婚行うことになった。
思えばこの28日で入籍以来苦節3年。
学んだことと云えばただひとつ「結婚はシャレじゃ利かない」ということだけだ。
離婚届と合意書を妻のひとに預け、役所へ行く日を待ちわびる今日、ブログを再開することを決め、過去ログをすべて削除した。
バイバイ、ブルーズ。
ほら、怖くない。
(2008年1月23日)
この週末、ふうどりーむずの民事再生を待たず、私は離婚した。
「結婚はシャレじゃ利かない」というフレーズは何を意味しているのだろう。
そもそもシャレで結婚したということか、それとも若い二人が互いに思うに任せぬ結婚をシャレで乗り切ろうとしたことを云っているのか、はたまた結婚はシャレであったと思い込もうとしたがダメだったということなのだろうか。
「ブログを再開することを決め」たと云ったきり、その後一度も更新されることなくウェブ上に姿をとどめる孤独なエントリーが、結婚は決してシャレなどではなく、離婚しても終わらなかったことを如実に語っている。
結局ふうどりーむずが民事再生を申し立てたさらに3ヶ月後、考え得る最悪のかたちで僕の結婚は終わった。
バイバイ、ブルーズ。
ほら、怖くない。
僕はナウシカのマネをしている。
そしてそれはそのまま、僕がか弱いキツネリスのように運命を、本気で恐れていたことを物語っている。
祭られ、煽られ、過去ログ倉庫で永遠に保管されるスレッドにつづられた数々の出来事どもに比べれば、僕たちの結婚は決して不幸な部類には入らなかっただろう。
本当に不幸だったのはその始まり方で、終わり方だ。
あの頃、幸せに生きることが世界で一番難しいことだと思っていた。
それを忘れないために、僕はこのエントリーをそのままにして、ブラウザをまたそっと閉じる。