ちょうど三年前に、「HCM RUN」というイベントでハーフマラソンを走ったときのことを書いた。
どれだけのひとの役に立ったのかは分からないが、いま読み返してみると結構おもしろいし、よく書けているので走らないひとも読んでみてほしい。
ところでこの、ネットミーム的な画像をトップに設置するのはもうやめた。これをやるとFacebookユーザーがたくさん「いいね!」するのだが、アクセスカウンターで張り込んでいても「いいね!」するだけで読まないひとがほとんどだからだ。
あなたのことですよ。
その点、ツイッターユーザーは教養と民度がちがうので常に変わらぬ支持をくださっている。読者に対する私のロイヤルティというようなものがあるとすれば、それはツイッターユーザーの皆さんに捧げられる。Facebookユーザーは、ただついてこい。性根をたたき直してやる。
* * * * *
「実際走るとランナーズ・ハイっていう、すげぇ楽になってくるタイミングがあるんで、ハーフマラソンなんかは気合いで余裕っすよ」
Gさんのこの「アドバイス」が端的にガセだったことは先のエントリーに詳しいが、当時このひとはまた
「マラソンを走るときは両の乳首にバンドエイドを貼らないとウェアに擦れて腫れる」
と真偽不明の情報を流していた。
これは彼が結婚前に付き合っていた彼女*1に乳首を開発されすぎただけだったという説が濃厚だ。
ともあれ、起業も受験も子育てもフルマラソンも、自分が一回しか経験していない(N=1)ことから法則や秘訣を導き出そうとするのは原理的に不可能なので非常に危険だ。やりたい気持ちは分かるが、それをやらないのが大人というものだろう。子育てに関しては親のいうことだって聞かない方がいい。そこにいる「起業の先輩」なんかもはっきり云えば生存バイアスがオフィスカジュアルでマックを開いてるだけだからすぐに逃げろ。
しかしそれにもかかわらずちょっと検索すれば何に関しても世の中はこの手のブログでいっぱいのようだが、即刻やめたまえ。これ以上インターネット・デブリを増やすんじゃない。なんだその「旅行記」は?ご丁寧にレストランの連絡先まで載せてあるのに、いつの記事か日付がないじゃないか。途上国の電話番号なんかすぐ変わるんだよ!!いつの情報なんだよ!読者を愚弄すんなよ!
しかも金をとって発信しはじめたりすると、それはもう結構黄信号だ。おまえの情報が有益なはずがないだろう。だから我々に許されているのは極力ひとの役に立たない無害な情報を垂れ流すことばかりなんだ。モンベルのこととかを書けばいいんだよ!
まぁそんなことで、僕は今日までにハーフマラソン一回、フルマラソン一回しか走ったことのない素人だからマラソンやランについて書くのは今回も避ける。だが今後もHCM Marathonへの参加を検討する日本人の方々のため、客観的な情報にしぼり、あくまでも資料としてここにメモを残しておくことにした。
このブログにこういう回はあまりないから走らないひとも読んでください。
総論:HCM Marathon 2019
いいイベントだ(客観)。
前回の「反省会」でも運営のクオリティはベトナム離れしているとお伝えしているが、あれから三年経って、よくなったところもあれば、いい意味で変わらないところもある。いずれにせよ大会は非常に高いレベルでオーガナイズされているし、誘導などスタッフの対応もこなれていて参加してみれば不安はあまり感じない。
もちろん不足に思うところもあるが、そもそも僕は他の大会に出たことがないので、それが本当に不足といえるものなのかどうかも分からない。
気候
暑い(客観)。
1月とはいえホーチミンシティは昼間になれば摂氏三〇度を超える「夏」だから、日が昇れば暑くて走っていられなくなる。
だが、前回のエントリーでは「午前六時」と記録されている出走時間が、今回は二時間早められて四時になっていた。つまり日の出まで二時間の猶予が与えられるようになったということだ。やはり日の出スタートではフルマラソン組のゴールがお昼前後になって危ないとなったのだろう。実際危ないと思う。
前回は日の出とともにスタートしたため、とにかく陽射しが強かったことだけを覚えており今回は度付きのサングラスをしていったのだが、スタートが早まっていたため日の出までは逆に暗すぎて危なかった。住宅地を走るので、路上に車を減速させるためのバンプがあるのだ。このあたりの判断は難しい。
日の出までの気温は二五度〜とまだ低いが、なにせ湿度が高いので汗ばむどころの騒ぎではない。
補給
フルマラソンを無補給はありえないということで結構神経質になっていたが、実際には運営頼みでも問題がなかった。
フルマラソンで七ヶ所か八ヶ所ぐらいの給水/給食所が設けられおり、しかもコースは折り返したり二周したりして同じところを通るので、都合一五回ぐらいの補給を受ける機会があった。僕は貧乏性で給水所にくるたびにひとくち飲まずにいられないから、これはちょっと多すぎだと感じたが、本来は悪いことではないのだろう。*2ただしハーフマラソンと重複したルートが終わる終盤には少し補給所のあいだが空くようになるので注意した方がいい。
提供されたのは、持って走れるペットボトル入りの水/その場で飲める紙コップの水/スポドリ/バナナ(スイカ)で、スポドリが謎に微炭酸(乳酸飲料?)だったことをのぞけば、本当によくやってもらっているという感じだった。*3
僕は燃料を持参していったのでバナナもスイカも食べていない。想像だが、ベトナムなので結構うまいのではないか。
ゴミはガンガンポイ捨てで、ベトナムの朝の路上によくいるノンラーにつなぎを着たおばちゃんが黙々と片付けてくれている。完全に日常の光景だ。
交通規制・誘導
交通規制については、フーミー橋から降りてくる十キロあたりまでは結構しっかりできている。
しかしエリアのほとんどが住宅地の中であったりするため夜が明けてくると生活道路の規制はとてもできない。ベトナムの朝は早いから、休日といえども七時ごろからはどうしても車を通さなければならず、誘導待ちで止められるシーンも何度か見られた。
ルートの誘導はちゃんとついている。曲がり角には五〇メートル前に看板が出ているし、フルマラソンとハーフマラソンでルートが分岐するところではスタッフがゼッケンを確認して方向を指示してくれたりする。二周するところではリストバンドが配られていて、これがトークンになって二周目にはループ抜け処理に入ることができる。
これもハーフマラソンが終わったあと、終盤の二十五キロぐらいからあとでは看板の数が減って、ちょっときわどい道路横断なんかがあったが、スタッフに助けを求めると「渡ってあっちへ行け」と教えてくれた。正直、これは少し改善した方がいいと思う。
コース
これについては前回のエントリーとあまり変わらない。
つまりフーミー橋がきつい、ということだ。ただしたかだか七キロポイントあたりまでなので、フルマラソンの場合にはまだまだ序盤。これ以降本当にキツい登りはない。僕がフルマラソンへのチャレンジにHCMを選んだのはそれも理由のひとつだ。
フーミー橋は一番高いところまで行ってUターンして戻ってくるというルートで、橋のたもとに補給所がある。
ギャラリー
スタートが早くなったことが関係しているのかもしれないが、一般のギャラリーはあまりいなかった。
ただし大勢のスタッフたちが補給や誘導をやるかたわら、声援をあげたりハイタッチをしてくれたりする。前にも書いたが、こういうときのベトナム人ほど気持ちのいいひとたちはなかなかいない。
ボランティアのベトナム人女性、いわゆるRUNねぇちゃんたちも非常にかわいく見えるが立ち止まるわけにはいかないので実際にかわいいかどうかまではわからない。だがそれがいい。
ゴール地点
フルマラソンの完走者休憩所は狭くて話にならなかった。前回ハーフマラソンのときにはもう少し余裕があったと記憶しているのだが、もしかしたら参加者が増えて追いつかないのかもしれない。ポカリスエットやバナナの取り放題もなくなっていて厳しかったので、すぐ近くだったホテルへ帰ってきてしまった。ちょっと長居するのは意味がないかなという印象。
メダルはフィニッシュラインを越えたらRUNねぇちゃんが首にかけてくれるシステム。他には特にやることがないので、動けるようになったひとから帰ってよし。会場付近には大量のビナサンタクシーがスタンバっているので帰路の心配はなさそう。
以上だ。
ところで、ある日突然思いついて走り始めてから六年、「いつかフルマラソンが走れるようになったらいいな」と思っていた、その望みは今回の挑戦で果たされた。
僕はもう四十歳を越えているし、そうなるとなかなかできることでもないようなので誇らしい気持ちもあって欲も出るが、この夢はこれでおしまいということにしておこうと思う。
マラソンは役に立たない
四十二キロを走れる身体を作っても、フルマラソンを走ること以外に使い道がない。つまり無為だ。マラソンは「ためにする運動」に他ならず、虚しい(ただし精神力は鍛えられて、虚しさに強い人間になる)。
仮に帰宅困難者になったところで自宅まで走って帰る必要はない。歩けばいい。
水泳は違う。生死を分けることがある。僕には沖合の漁船でいきなり水が入ってきて死にかけたという知人がいるし、アメリカでは二歳ぐらいから子どもに水泳をやらせる、なぜなら自宅で「プールパーティ」をやるお友だちがたまにいて、もちろん監視員なんかいないから何かあれば命にかかわるからだという話を聞いたこともある。水泳は大事だ。マラソンにはそれがない。
これ以上は鍛えられない
ハーフマラソンからの三年はよくやった。
だが二日に一度というペースで十キロずつ走るのは、まともな社会人のトレーニングとしてはかなりのコストになっている。僕はまともな社会人ではないが、家庭人としての顔もあるのでこれ以上の時間は割けないと思っている。
してみると、これほどにやってきてまでしてあのラスト七キロの地獄のような苦しさ、これをトレーニングで乗り越えることは不可能だと考えざるを得ない。僕はこれ以上は強くなれないのだ。
骨と皮みたいなじじいやアオザイ姿の小さな女性がバンバンゴールしていくところを見るにつけ、これはもう自分の限界なのだと思うに至った。体力、筋肉量と体重つまり身体の組成、そして僕はもともと歩き方がおかしいので膝に負担のかかりやすい骨格をしている可能性も高い。これ以上マラソンにおいて高みを目指すことは無駄であるばかりか危険であると思う。
マラソンは身体に悪い
だいぶん常識として広まってきたようだが、体力勝負と云われる医者も一般にはマラソンをやらないと聞く。人間の心筋は心拍数にリミットがセットされており、それを越えると死ぬと考えられているからだ。つまり心拍数のあがる運動は寿命を切り売りしているに他ならない。
マラソンは関節にもよくない。一歩ごとに片足にかかる負荷は体重の五倍とかなんとかいうからとんでもない話だ。
それでも僕が得意とする運動はこの世に中・長距離走しかなくて、とりもなおさずそれは運動神経というよりも精神力で介入が可能な種目だったからなのだが、よって僕はこれらを承知でフルマラソンの目標を追いかけてきたのだ。
マラソン大会のノリにあわない
これはハーフマラソンのときにも思ったのだが、長距離走に慣れたひとたちは楽しみのためか、あるいはタイム以上にエクストリームなゴールを設定するためか、へんなコスプレで走るようになる。これが僕にはあわない。
今回もフルマラソンを全身動物の着ぐるみで走ったり、セーラー服で走ったり、悟空のコスプレをしたりしている参加者がいた。着ぐるみのひとりはさすがに三十分ぐらいしたところで道端に止まって脱いでいたが、あの着ぐるみをそのあとどうするのだろう。セーラー服、アオザイもひとりやふたりではなかったし、悟空も三人はいた。いちいち道端のギャラリーやRUNねぇちゃんと写真に収まりながら走っている老人までいたのだ。しかも僕より先にゴールしている。
僕は本質的に真面目なつまらない男でルサンチマンも強いので、自分には到達できないところでなめプをやっているひとを見ているのには耐えられない。ひとのことなんか放っておけ、というところなのだが、「楽しみたいなら家でエースコンバットでもやっていろ。走り足りないんだったらウルトラマラソンにでも行け」という思いを拭い去ることができない。僕にとってマラソンとはもっと孤独で殺伐としたものであるべきだったのだ。
これが、僕がマラソンをもう走らない理由だ。
いつかフルマラソンを完走してゴールラインを越えるとき、拳を空へ突き上げたいと思っていた。僕みたいな人間にそんなカッコいいことが許されるシーンはめったにないからだ。
だが最後の角を曲がってようやく見えたゴールへたったひとりジリジリと近付きながらRUNねぇちゃんたちの声援を受けているうちに、今日もやっぱりそんなことはできないと思った。脚はこわばり、ただ歩いてはいないというだけの状態で、めざしていたタイムにも遅れ、のろのろと進む僕はいつも通りカッコ悪かったからだ。「ロバが旅に出たからといって、馬になって帰ってくるわけじゃない」。本当にその通りだと思った。
ただ、ゲートをくぐってどこかにあるレコーダーが「ピッ」と小さな音を立て、タッチを求めるスタッフに応えてふたりの掌が触れたとき、僕はその手を握りしめ、「サンキュー」と云った。自分がそんなことをするとはそのときまで思いもしなかった。
とまれこうして僕のバケツリストから、ひとつの夢が消えた。
小さい頃から我慢の子だった僕にとって、六年のあとでたった一日だけ自分のことを褒めてやることができたのなら充分だ。
僕たちはこれからだってまだまだいろんなことができるのだから。