新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

30年目の帰郷。

たった二本のビールだったが、二日酔いまでにはギリギリの状態だった。 約束通り8時に最上階のクラブへ行くと、T氏はすでにテーブルについて朝食を始めていた。 オムレツを語らせると右に出る者のいない昨日の男は非番のようだ。おかげでコーヒーも一杯です…

マラリア。野性の人間とは。

プールサイドにセットされたテーブルの周りでは、巨大な蚊が灯りに照らされながら飛び回っていた。 先ほどから僕の脳裏を明朝体の「マラリア」がいったりきたりしている。 「季節や地域によっては」マラリアに留意する必要があると外務省のホームページでは…

カトマンズの夢。

日が傾いていた。川下りにかかる時間とあの渋滞を考えると少し長居しすぎたようだった。兵士が露払いをしたあとの道をそそくさと歩み、村を後にする。みぞおちのあたりが砂袋でも?んだかのように重く感じた。僕はいったい何を見たのだろうか。村に入ったその…

「彼のアクセントが私には理解できません」と彼女は云った。

驚いたことにその村には学校があった。 しかし読み・書き・算盤のそのどれもが役に立ちそうもない村の広場の裏手には、三つの教室を備えたコンクリート製の小さな小学校が確かにあったのだ。 ただしコンクリートは四方を囲む壁だけで、屋根は半分飛ばされて…

絶望の不在。

僕とT氏は15名を数える取り巻きを従え、1頭の小ヤギと1人の兵士に先導されて、そのおそらく名もなき村に立ち入った。 後ろでは先ほどまで道の両脇に詰めかけて拍手で僕たちを出迎えた人々が言葉もなく静かに散開して、農作業に戻ったり、どこかへ向かった歩…

子ヤギの案内に、僕は来意を告げた。

のっぺりと広がる川面がだらしなく二つに分かれた。その支流と思しき方へボートが分け入ると、そこから20分ほど行ったところが目的地だった。ここもまた、ただ浮き草をかき分けただけの「船着き場」と思しき川辺の一角があり、我々のモーターボートは順番に…

ハート・オブ・ダークネス。王の気配。

ダッカを出発して2時間あまりの間、車列は進んでは停まりを繰り返した。 市街地はすぐに抜けてしまったが、郊外から水田の広がる農村地帯に入っても道は延々と渋滞が続いている。たまに流れがよくなると、ドライバーは必ずここぞとばかりにクラクションを鳴…

ビギナーズ・ラックが新兵たちを救ったか?

「コーヒーのお代わりはいかがですか」テーブルの脇に張り付いた男が尋ねるのは3回目だった。訊かれる度にイエスと応じることに決めていた僕はもう一度命じた。「イエス、プリーズ」僕が時差の計算を間違えたせいでT氏は1時間も早く朝食に起こされている。言…

租界にて。世界はゆっくりと分解を始める。

空港からダッカ市内へと続く道は渋滞していた。乗用車とバス、その間を埋めるオートリキシャが片側三車線はありそうな立派な道路に敷き詰められている。もともと平日は渋滞がひどいからという理由でこちらの週末にあたる金曜日、土曜日にあわせた日程だった…

観光地ではないどこかへ。

在日バングラデシュ大使館は、JR目黒駅を出て山手通りをわたり、さらに10分ほど歩いた閑静な住宅街のなかにある。まったく同じ造りの一戸建てが二軒並んだかたちの大使館の、向かって右手側の建物でビザの申請や発給が行われ、左手の建物には商務部が入って…

ダッカ2010。

夕方5時のシンガポール・チャンギ空港は閑散としていた。 トランジットは1時間しかないし、シンガポール航空の航空券には「出発10分前までにゲートへこなければ、お前を置いて飛行機は飛ぶ」と、心なしかシンガポールらしいと思われる警告が記されているから…

うどんを抜く。エビフライ。若きモンスターを乗せ、エアバスは南を目指す。

機材はエアバス380。大揉めに揉めた挙げ句やっとこさロールアウトした世界最大の旅客機だ。シンガポール航空はその最初の機体を引き受けたローンチカスタマー である。 いまやゲンかつぎになっているフライト前のうどん にも朝10時ではさすがに手が伸びず、…

許された盗撮としてのドキュメンタリーはフィクションに対し奇妙な近似を見せる。

渋谷は東急本店Bunkamuraシアターにて映画・「パリ・オペラ座のすべて 」を観劇す。 さて監督のフレデリック・ワイズマンなる男はドキュメンタリー職人であるということらしく、本作もセリフ・ナレーション一切なしで堂々160分という長尺だ。 世界に冠たるオ…

神話からの脱出。

渋谷はBunkamuraル・シネマにて「ベジャール、そしてバレエはつづく」が公開中。 ローザンヌ市が世界に誇るバレエ団を取材したドキュメンタリーだが、私は2011年1月のローザンヌ国際バレエコンクールを見物するためについ先日よりフランス語を始めたりしてい…

敗北の軌跡。

ある日20ページを越す大部のパワーポイントがメールで送られてきた。 タイトルは「敗北の軌跡」。 5年前にスポンサーを得て起業した同い年の男による自伝だった。 ようやくそこそこ食っていけるようになった会社を部下に譲って退く決断を、彼は敗北と呼ぶ…

どこへ行ったんだ、タイガー。

カップに蹴られたボールはゆるやかな傾斜を転げてバンカーへと落ちた。ギャラリーのどよめきはうねりのようだ。 気がつくと僕は最終ホールのグリーンで、砂に埋もれたボールを呆然と見やっていた。 最終日のここまで三打差の二位へ追い上げてきたゴルファー…

換装。海岸線はやつらの手に渡った。

初夏のある日、懇意にしている退役自衛官が尋ねてくる。 招き入れた部屋では駐屯地の土産にもらった自衛隊のカレンダーを壁に掛けている。 「これがシーホークですよ」ヘリコプターのパイロットだった彼が椅子に腰掛けながら教えてくれた。「僕はこれに乗っ…

「幸運が、お前には必要になるだろう」と黒人は叫んだ。

< 日比谷・日生劇場にて「キャバレー」観劇。 「Das walt ist Kabaret ! 世界は、キャバレーだ!」とのっけから大見得を切る諸星和己がいけない。いつもテレビサイズのカメラが自分を追いかけているという錯覚が抜けないものだから、やはり生涯舞台には向く…

手売りのCDは買わない。だが山本直樹のサぅうわぁぁぁぁっぁあぁぁぁぁぁっぁ!!!

ロックをたしなむ知り合いが昔から多く、演奏会に呼ばれることが絶えない。 そこでその晩ステージにあがる名もなきバンドを気に入ることもあるが、その場では断じて手売りのCDを買わないことにしている。 だいたいミュージシャンなどというものはおしなべて…

総理「記憶がございません」。

いやな記憶を消し、楽しい記憶だけを残して生きていくことができれば、人は幸せになれるだろうか。 記憶だけを移し替え、新しい肉体を乗り継いで永遠に生きていくことができれば、人は幸せになれるのだろうか。 難しい問いだ。 もっとも、そんな問いを抱かな…

亡国たすけあい運動。

NHKが年末に行う恒例の「たすけあい」運動に全盲のピアニスト・辻井伸行が参加していた。 「お前はたすけてもらえよ」と思わずテレビの前で声をあげるような僕について、非常に強く批難するタイプの方々がいらっしゃるが、こういうのはおそらく一生治らない…

生き延びることだけが僕の趣味だった。

「リトル・ダンサー」をほぼ10年ぶりにDVDにて観直す。 80年代イギリス。産業革命以来の栄華を誇った炭坑は、すでにその時代を終えていながら完全には役目を終えられず、産業としては極限まで先細りながら凋落していくという、もっとも多くの巻き添えを伴う…

アヴァンギャルドの作法。

1571年(元亀2年)9月30日。織田信長は比叡山延暦寺を中心とした一帯に火を放った。 織田の狙いは近畿一円の抵抗勢力が文字通り「駆け込み寺」としていた延暦寺の影響力を排除、その軍門に下すことにあり、「信長の仏教嫌い」云々というよりは、純粋に地政学…

「才能に勝る努力なし」。

大学一年生の僕は三ヶ月のあいだギターを引き続けたあと、そう云ってギターを置いた。 「歳のわりに荒んだこと云うねぇ、キミ」 聞いていた七年生の先輩(この先輩は結局八年かけても大学を卒業できず、その後除籍になった)があきれたように云っていたのを…

わかった、要するにこの国の政治家たちはただの英雄なのです。

そんなある日NHKスペシャルで「証言ドキュメント 永田町 権力の興亡 第2回」が放映さる。音楽は川井憲治。 1996年の橋本内閣誕生からその退場以降、小泉純一郎の登場にいたるまでずるずると議席を減らし、誰の目にも「旧式のシステム」が取り返しもなく崩れ…

ゾウの渡り、望郷。【2】

極真空手の道場へ通う先輩に電話一本で拉致された僕はそのとき八丈島にいた。 5名の釣り好きと僕といういびつなパーティは台風で壊滅したあとの八丈島へ渡り、5名は3日にわたって防波堤からの釣りを楽しみ、僕は読書を楽しんだ。 そして帰りの機材が用意され…

ゾウの渡り、望郷。【1】

すでにご案内の通り、生命はみな生きて子孫を残すために生まれてくる。 このため生命体(思念体のことはよくわからない)の本能には「生きること」と「子孫を残すこと」に向けた強烈な動機付けがされている。 人間もまた然り。いかにブログなどを書いて高尚…

屹立する夏の暴力が守護するものは。

ビアガーデンという言葉の暴力的な響きに身を震わせよう。 「夏の風物詩」などという腑抜けたまやかしに気を取られてはいけない。 「ビア・ガーデン」すなわち「ビール・庭」という直截的なメッセージにはむき出しの暴力を感じなければならない。 そこにはビ…

アクシデンタル・ツーリズモ。2tの思い出。

生まれて初めてハイエースを運転した。デカすぎワロタ。 あまりクルマのことに明るくないため「荷物を運ぶ1BOX」という投げやりなオーダーを伝えた僕を出迎えたのは、いわば小型のバスだった。 僕はクルマの運転が下手だ。 まず這々の体で運転席へよじのぼ…

いきものがかりの内省。

酒を止めてちょうど半年が経った。 たった半年だが、あれだけのペースで飲んできた人間だ。腹の臓は延々と煮えたぎる釜がごとき有様であったのだろう。人間ドックの結果は、さまざまなメーターが即座に正常化する様をみせつけ、あらためて「酒は百薬の長」な…